日本の仏教は間違っている?仏教の本場スリランカ式坐禅会と料理を味わってみた!
先日、生まれて初めてスリランカ式坐禅会というものに参加してきました。
日本の仏教とスリランカの仏教に関する興味深い話や、スリランカ料理なんかもいただけてとても貴重な体験だったので書いてみようと思います。
ちなみに私は全然仏教に関しては熱心でないのであくまで素人目線です。
あしからず。
きっかけは初めての坐禅会参加
スリランカ式の法要および座禅会に参加するきっかけとなったのは、勇気を出して初参加した地元のお寺の坐禅会でした。
その時に「坐禅会楽しいな~」なんて思った私。
ちなみに例の棒で叩くとかずっと正座するとかいう厳しいものではなくて大変気楽な坐禅会でした。
その坐禅会終了後にお坊さんと他の参加者さんに「大変貴重なイベントがあるのでよっから是非!」とオススメされたのがスリランカのお坊さんが地元のお寺に来て坐禅会を開いてくれるというイベントでした。
初めての坐禅会に参加出来たことに気を良くした私はその場の勢いでスリランカ式法要および坐禅会に参加することを決意したのでした。
日本の仏教は間違っているらしい
当日会場となるお寺に集合した参加者たち。
ついに現れたスリランカのお坊さん。全身オレンジ色の服というか僧衣というのでしょうか。
「お~」
と心の中で感動する私。
服装で一番印象的だったのは靴下もオレンジ色だったことですね。
ていうか材質がなんだかスポーティ。
やっぱ本場はちげ~なと一人で勝手に驚いていました。
このお坊さん、日本に長く住んでいるようで日本語も堪能でした。
まずはスリランカ語で読経。もちろんカンペありです。
これは全員に配られたお経が書いてある本。
この左側の部分を読んだ訳ですね。
読経自体初めてだった上に本場スリランカの読み方というかノリが分からないので読むことに必死で内容のこととか全然考える暇ありませんでした(笑)。
読経を読んだあとはお坊さんのお話し。
一番印象深かったのは
「日本の仏教は間違っている」
と言われた時でした。
要は「日本の仏教の教えは本来の仏教の教えとは全然違う」という話。
私は仏教に詳しくないのでサラっと書きますが、日本に古くから伝わる仏教とは、中国から伝わったもので、しかもそこに日本独自のアレンジが加わったいわばオリジナル仏教なんだそうです。
恐らくですが、お墓や先祖を守るという概念こそが日本独自の仏教的思想のオリジナル部分なのだと思います。
ですが仏教の本場スリランカではブッダの教え、言葉こそが仏教の教えであるという考えです。
崇めるのはご先祖さまではなくブッダなのです。
そしてそれこそが仏教の起源なんだそうです。
先ほどアップしたスリランカ語のお経こそがブッダ自身の唱えたお経なんですね。
ちなみに日本にスリランカ本来の仏教が入ったのはなんと明治時代以降なんだとか。
けっこう最近なんですね。驚きました。
ただこのお坊さんは、「日本の仏教は否定しないし、いろいろな仏教の教えを学ぶことはとても良いことだ」ともおっしゃっていました。
自分の常識だけでなく、他の国や集団の常識というものも学ぶことにより、視界が広くなる。
その言葉に身が引き締まる思いでした。
その後、瞑想についても触れ、歩きながら瞑想する方法というものも実践しました。
今まで知らなかった事だらけでとても興味深い内容でしたね。
初めてのスリランカ料理
法要が終わった後には現在地元在住のスリランカの方が手料理を振る舞ってくれました。
やはりカレー系の味付けが多かったですが、さすが日本に住んでいる方が作っただけあって辛みや味の方向性は日本向けにだいぶアレンジされていて違和感なく食べられました。
事前に調べたとき、スリランカ料理は世界一辛いと書いてあったのでかなりビビってたんですがちゃんと食べられました。
特にこの
チキンカレー!
一番辛かったですがすっごく美味しくて2回ほどおかわりしました(笑)。
とまあこんな感じで食べたら解散という流れだと聞いていたのですが、なぜかその後も先祖供養のお経をあげると言われたので、時間の都合上途中退席させていただきました。
良くも悪くも貴重な経験でした
というわけでスリランカ式座禅会初体験リポートでした。
他人に話せる貴重なネタになっただけでも行ってよかったと思いますが、この座禅会、休憩なしで3時間近くずっとお経やらなにやらやっていたので、俄かで参加した私にはとても辛い経験となってしまいました。
私以外の皆さんは当然のように後半も参加する雰囲気だったので、
「ああ、所詮私は仏教とかあんまり興味ないんだな」
と改めて痛感しました。
でも面白い経験をしたことは事実。参加してよかったです。
最後に一言。
俺もう、座禅会はいいかな......
他の趣味探そう・・・。